前例のない黎明期を経て、テクノロジーの進化と共に急速な拡大を遂げたネット広告業界。
この激しい変化の中で、セプテーニの現場では常に試行錯誤を繰り返す挑戦が続いてきました。
本記事では、激動の時代を最前線で駆け抜けてきた3つの世代が集結し、異なる視点からその軌跡をたどります。
それぞれの立場でどう壁に立ち向かい、何を信じ、どんな覚悟で決断を重ねてきたのか。過去の事実をなぞるのではなく、混沌のなかで生まれた葛藤や感情、その経験が今どんな学びとして残っているのかを、世代を越えた言葉で掘り下げていきます。






2000年、インターネット広告事業へ本格的に参入。翌2001年にはJASDAQ市場への上場を果たしました。市場が急拡大する中、2006年には持株会社体制へ移行。専門性を高めながら、ネット広告市場を切り拓いていった黎明期です。
インターネット広告業界の黎明期にあたる、今からおよそ20年前はどのような状況だったのでしょうか?
芦田
まだネット広告のルールが今ほど確立していなくて混沌とした状態でしたね。組織としても整っていないことが多かったし、ネット広告代理店と名乗ってはいても、アナログなこともとても多かった。
だから、思い返しても「このプロジェクトが思い出深い」というよりは、「質」以上にとにかく「量」をこなしていたという感じでした。
それができたのは、シンプルにみんな若かったから。社会的な経験値が足りないので、そこを量で補うしかなかったのだと思います。
また、当時はネット広告という市場自体をつくり上げている段階なので、正解なんてどこにもない。だから、がむしゃらに目の前の量をこなして、経験値を無理やり圧縮して詰め込むしかありませんでした。
そんな中でもやっぱりお客様から直接感謝されることが一番嬉しかったんです。BtoCのように不特定多数に届けるのではなく、目の前の担当者の方に「○○さんにお願いしてよかった」と言われたい。その想いを満たすために、お節介と言われるくらい過剰にやりきっていたところもあったかもしれませんね。
その「お節介」の積み重ねが、評価につながっていったんですね。
芦田
あとは、当時の「戦友感」もありました。同世代の仲間たちも必死だったから、「マーケットを一緒につくる」なんて共存共栄の精神というよりは、「絶対に勝ちたい」という純粋な闘争心があったんですよね。
社内の仲間たちとも、言葉を交わさずとも「運命共同体」のような連帯感があって。それが体を動かすモチベーションになっていたんだと思います。
一方で1個上、2個上の先輩方は追い抜く対象としても見ていた、そんな視座の高さはあったかもしれません。
鈴木
私も営業だったんですけど、今でこそツールやオペレーション体制が整備されているものの、当時は入稿もレポート作成も請求も、全部営業担当がやっていて。
芦田
私もSEMのコンサルタントだったのですが、大手のプラットフォームも運用はほぼ手動で行っていました。
管理画面を睨みながらポチポチとクリックして、入稿作業も広告文の作成も全部自分でやる。だから、自分の中に積み上がった「暗黙知」を言葉にして後輩に教えるのも難しくて、結局は隣で一緒に手を動かしながら、実践を通して感覚を共有していくしかなかった感じでしたね。

今では考えられないことですね。「量」をこなせたモチベーションは何だったのでしょうか?
鈴木
理由なんてものはなく、「やるしかない」環境だったんです(笑)。
私たちが入った頃は、入社して1ヶ月目で案件を担当して、2ヶ月目には新卒2人でアポに行っていたんですが、社会人として未熟なのでクレームをいただくこともあって。ご指摘をいただく度に、上司が謝りに行く。
今ならちゃんと研修して育てる仕組みがあるのですが、当時はとにかく現場で経験させながら育成して、というスタイルでした。「トラブルがあっても何とかするから」と。
今振り返れば、逆境に飛び込むとか、そういう環境に慣れていくというのはあったのかもしれません。無意識的にチャレンジングな場面に足を踏み込まざるを得ない状況だったので。
そうした環境が、自然と挑戦する姿勢を身につけさせてくれたのですね。特に印象に残っているエピソードはありますか?
鈴木
一番ですか・・・。挑戦というか、未だに忘れられないのが、あるクライアントの店舗集客施策ですね。
当時、アプリを使ったO2O施策が流行り始めていて、特定条件でクーポンを表示させるという企画を実施したのですが、イベント前日に特定のOSのバージョンでだけ想定通り動作しないことが発覚して。もうシステム修正は間に合わないから紙のクーポンを作って現地で渡そうというオペレーションを急遽組んで対応したんです。
デジタルの施策でありながら、最後は紙での対応になったのですね(笑)。
鈴木
結果的に、店舗には長蛇の列ができて企画自体は評価してもらえたのですが、ビジネスとしては手痛い失敗でしたね。
そういう失敗を数え切れない程してきましたが、「次で挽回する」といった感じで受け止めていました。
それに失敗の数だけ学ぶことも多いですし、「この経験がどこかにつながっていく」という確信もあるからそんなに落ち込まず、割とあっけらかんとしていられるのかもしれません。この時代に「量」をこなしたからこそ、「レジリエンス(回復力)」は強化されたんじゃないかなと思っています。
当時とは環境も大きく変化しましたね。
芦田
昔に比べれば環境は整いましたが、現在でも成長途中です。そうした環境の中、今のメンバーはそこに安住せず、若いうちから失敗を怖れないでまだないものを自ら創ろうとしてくれています。そうしたアントレプレナーシップが現場に感じられるのは頼もしいですね。
スマートフォンの急速な普及に合わせ、対応領域を広げた成長期です。ソーシャルメディア広告への注力などの既存事業の拡大に加え、マンガコンテンツ事業など新たな事業を創出。多様化するデバイス環境に対応できる体制を築き、海外拠点の開設やIFRS(国際会計基準)の適用を開始するなど、企業としての基盤も着実に固めました。
事業の拡大期に入社されたお二人にお話を伺います。黎明期を経て、市場環境も大きく変化していたのではないでしょうか?
若月
私が入社した2009年頃は、ちょうどスマホが出てきた頃です。当時は会社として「モバイル」「ソーシャル」「グローバル」の領域に注力していました。Facebookがアメリカで流行って、日本に来たのが2011年か2012年ぐらい。その頃は個人的に忙しくて一番記憶がない時期かもしれません(笑)。
山崎
まさに成長期でしたよね。SNSが普及し、新興メディアも多く出てきていたので、「インプットした量がそのまま成果として跳ね返ってくる」ような、業界全体が伸びている時代でした。
山崎さんも、SNS広告に注力していたのですか?
山崎
いえ、私は全然違って(笑)。スマホやアプリの案件でスポットライトを浴びているプロジェクトや人がいる中、私はひたすら「PCの検索連動型広告(リスティング広告)」に向き合っていたんです。会社が最注力しているものと違う領域ですから、当然目立たない。周りの方からある程度評価はしていただくんですが、最終的なスポットライトは浴びることができませんでした。入社4〜5年目の青い時なので、本気で取り組んでいたからこそ、そのギャップに「もう辞めようかな」と思っていましたね。
それでも辞めなかったんですね。
山崎
ある時、開き直ったんです。「もういいや」って(笑)。目の前のお客様のビジネスと、このプロジェクトに本気で向き合ってくれるチームがいればそれでいい、他からの評価は気にしない、と切り替えました。そうやって思えたら、成果もよりついてくるようになって。営業として成長させてもらった時期ですね。
諸石
その当時の山崎さんたちの粘り強い取り組みがあったからこそ、今もセプテーニはSNSだけでなくサーチにも強みがあるんですね。
強みといえば、個人の力だけでなく、組織として戦う企画戦略部の存在も大きいと伺っています。どんなきっかけで企画戦略部を立ち上げることになったのでしょうか?
若月
たしか当時、元々はマーケティング部署にあった提案機能がなくなってしまい、コンペの提案なども営業が各自でやるような状態だったんです。そこで、新規案件を取りに行くための「提案力」を強化し、コンペで勝てる仕組みをつくることになりました。私は企画戦略部の一人として取り組み始め、そこからずっと戦略と向き合い続けています。
鈴木
たしか最初は2人くらいで始めていましたよね。今となっては考えられない人数です(笑)。
若月さんのその「戦略」へのこだわりはどうやって芽生えたのでしょうか?
若月
コンペが楽しかったんです。毎回アドレナリンが出て、チームプレーで、短期で勝ち負けがはっきり出るスポーツみたいな感じで。最初は営業としてPMみたいに取り仕切っていたのですが、何回も経験していくうちに、「各ソリューションをただ集合させるだけじゃ勝てない」と気づいて。クライアントのビジネスをデジタルで伸ばすために、どう点と点を線でつなぎ、クライアントに合わせて届けるか、という部分にこだわりたかったんです。
鈴木
若月さんが、「顧客ごとにちゃんと戦略をつくっていく」「顧客ビジネスのために向き合っていく」という礎を築いてくれたと思います。当時は種まきの時期だったのが、今それが花開いている感覚がありますね。あと若月さんは特に「現場」を大事にしていて。
現場、ですか。
若月
そうですね。私は「会議室じゃなくて現場に行かないと見えない」という感覚が強いんです。経営戦略と現場を行ったり来たりできることの重要性をすごく感じています。現場でお客様と向き合わないと見えてこないものが多いので、自分もプレイヤーとして現場を見ていたいというのはありますね。
山崎
共感します。同じく現場という観点でいうと、私は今、複数の拠点(札幌、福岡、宮崎など)を見ていますが、大切にしているのは「直接会って話すこと」です。メンバーのバックグラウンドを聞き、強みを抽出する。そして俯瞰して見ることで「この人の強みと、あの人の強みを組み合わせたら最強だな」とイメージが湧いてきますよね。
一人ひとりの強みを理解されているからこそ、組織としてどう活かすかが見えてくるのですね。
山崎
そうですね。そしてずっと変わらず意識しているのは、とにかく「強いチームをつくる」ということです。私は自分一人じゃほぼ何もできないと思っていて、だからこそ、周りの力を借りるしかない。これまでの挑戦も、先輩が後押ししてくれたり、応援してくれたことが大きかったと思います。若月さんの提案もそうですが、成果を生み出すために色んな人に助けてもらってきました。だからこそ、今度は私がみんなの「背中を押す側」になりたいと思っています。かつて自分が信じてもらったように、メンバーを信じて、彼らが最大限に活躍できる環境を提供し続けたいですね。

若月
共通しているのは愛かもしれません(笑)。「仲間」や「クライアント」への愛。私も過去の自分や今の自分に対する期待を超えていきたいという想いがあるし、その過程を個人で止めずに、チームにもっと広げていきたいと思っています。
自分だけでなくチーム全体で高みを目指す、まさに「愛」ですね。
若月
そうして期待を超えて成果が出たあとに見える景色は綺麗だなって思うんです(笑)。仲間と「仕事終わりのビールが美味しい」とか、「これだけ頑張ってよかったね」って言い合える時間は一番幸せな時間だと感じますよね。
2018年、株式会社電通との資本業務提携を締結。オンライン施策とオフライン施策を統合した、より本質的なマーケティング支援体制を構築しました。顧客のビジネス成長に貢献するパートナーとして、新たなステージでの挑戦を続けています。
諸石さんは、まさにコロナ禍で世の中的にも激動の年にセプテーニグループに入社したのですよね。
諸石
そうですね。正直、予想とは全く違うスタートでした。入社する頃にコロナ禍になり、初日からリモートワーク。先輩たちにとっても未経験の事態で、社内の誰も正解を持っていない。「何がどうなるか分からない」という感覚がすごく強かったのを覚えています。
でも入社してみたら、その「不確実性の高さ」もおもしろいなと感じていました。さらに印象深かったのが、電通グループとの協業が本格化したことです。ネット専業代理店として入ったつもりが、マス広告も含めた全体設計に関わることになり、求められる領域が一気に広がって。範囲が拡大した分、常に自分をアップデートし続けないと置いていかれる。そんな切迫感と楽しさが同居しているような環境でした。
若月
協業の深化によって、オンライン施策・オフライン施策を統合した、より本質的なマーケティングで顧客企業のビジネスを支援できる環境になってきていますよね。
諸石
そうですね。そうした環境もあり、私は営業として「自分の役務範囲を変に狭めないこと」、また、やるかやらないかの選択肢があったら、「何でもやる」ということは、とても意識しています。色々挑戦して挫折したりとか、ちょっと身の丈以上のことに手を挙げてしまったが故に、周りに迷惑をかけてしまったりすることはあるのですが。
でもやってみて、結局「あれやらなきゃよかったな」って思うことはないなと感じています。逆に言うと、それを躊躇ってやらないという選択をしたら何かが終わってしまうような気がしています。
セプテーニは、一度の失敗でバツがつく組織ではないですよね。前向きな挑戦の結果としての失敗なら、誰も責めません。むしろ、失敗を恐れて立ち止まることの方が評価されない。「必要な失敗なら恐れず挑め」という空気感があったからこそ、これまでも前に進んでいくことができました。
鈴木
セプテーニにはそういう文化がありますね。
小嶋さんは2025年から部門長になったとのことですが、これまでに忘れられない「逆境」や「試練」のタイミングはありましたか?
小嶋
直近では、部門長になった直後のタイミングですね・・・!大型クライアントの方針変更で、これまでのお取引がなくなってしまったんです。予想外の大きな出来事に、当初は結構絶望していました。
何をきっかけに立ち直ったのですか?
小嶋
次に注力する対象や目標があったので、そこでうまく切り替えができたのですが、なにより役員の人たちがすごく後押ししてくれたのが大きかったですね。セプテーニ代表取締役の清水雄介さんや山崎さんが、部会まで来てくれて、「そんなに悲観することじゃない」「あなたたちならやれる」とすごいパワーをくれて。
そこからメンバーにも「そんなに落ち込むことなく頑張っていこう」と伝え、次の行動に舵を切ることができました。会社全体で私たちを支えてくれるんだ、と感じましたね。当時は全く先が見えていなかったんですけど、前を向くしかなかったし、「何とかなるだろう」といった気持ちがそこで生まれました。
引き続き社内外の期待に応えたいという想いもありましたし、こうした状況の中でも、今までやったことがないことにチャレンジしてみたい、という気持ちもあって、そこで今後のプランを練り直し、今までとは違ったかたちの支援スタイルをみんなでつくり上げていったんです。
結果的に、成果を積み上げていくことができているし、次の取り組みにもつながる土台をつくることができたので、今回のピンチに対しても、「この頑張りは無駄じゃなかったな」とすごく思います。
そうしたピンチを乗り越えるにあたって、小嶋さんの原動力となったものは何だったのでしょうか?
小嶋
山崎さんの「限界突破」という言葉が結構大きいですね。確かにこれまでもたくさんキツいことはあったんですけど、踏ん張って高い壁を乗り越えた時に、今までとは違う景色が見えたりして。「限界突破」というと、精神論のようにも感じてしまうかもしれませんが、個人的にはポジティブな要素の割合の方が大きかったんです。「あの言葉は間違ってなかったな」と改めて思いましたし、それを原動力にして動いていますね。
諸石
「限界突破」と似ていますが、私も「がむしゃらさ」は必要だと思っています。ただ、それは長時間働くという意味ではなく、「自分が納得するまでやり切る」という「熱」のことです。
スマートに効率よくやるのも大事ですが、「求められた範囲はここだよね」と小さくまとまってしまったら、そこから先の成長も成果もないのかなと。時間がかかろうがなかろうが、「これが今の自分のマックスだ」と言えるところまで出し切る熱量はこれからも持ち続けたいと思っています。
混沌とした黎明期を駆け抜けた開拓者たちの想いは、かたちを変え、洗練された戦略と強固なチームワークへと昇華されていました。「やるしかない」という原初の衝動は、今もなお「限界突破」を志すひたむきな姿勢として息づいています。過去から現在へと受け継がれてきたこの想いは、次の時代を担う人たちの手にも、未来を照らす灯火として託されているのです。